

2008年シーズンに使用されたキーパー用ユニフォームです。2nd用となります。植草裕樹選手に支給された物です。キーパー用のユニフォームですが、市販されたのは1st用の緑色の長袖のみで、半袖のグレーの2nd用の市販はございませんでした。

メーカーロゴはラバー圧着

エンブレムはフロッキー素材のワッペン圧着。

スポンサーロゴはラバー圧着仕様。フィールドプレーヤー用は昇華プリント仕様なので、キーパー用ユニフォームの特徴と言えます。

背中スポンサーロゴはラバー圧着


JリーグパッチとKAWASAKIパッチはワッペン縫い付け。

袖スポンサーロゴはフロッキー圧着。12周年記念パッチはワッペン縫い付け。


ネームとナンバーはラバー素材の2色1枚仕様。

首タグは白色です。


内タグ部分は別注の記載がありますが、生産年月のタグ部分がフィールドプレーヤーの物とは異なります。
2005年に早稲田大学から加入後、出番に恵まれませんでしたが、このシーズンはナビスコカップ(現ルヴァンカップ)のグループリーグで4試合、天皇杯で1試合出場とリーグ戦出場こそなりませんでしたが、カップ戦で出場機会を得て活躍しました。
川崎フロンターレのキーパー用ユニフォームですが、アシックスとサプライヤー契約を締結していた時期は半袖の市販が無く、市販されたのは長袖ユニフォームのみでした。Jリーグのクラブのユニフォームの販売体系を考えると、かなり珍しい形です。半袖が販売されたのは2011年にプーマとサプライヤー契約を締結してからでした。なので、意外とキーパー用の半袖ユニフォームが市販されたのはつい最近(といっても15年前ですが…)な気がします。
2008年の強化ですが、先ずは大卒即戦力ルーキーの田坂祐介、横山知伸、菊地光将を獲得。3人ともに初年度から出場機会を掴み、選手層に厚みを加えてくれました。前年に続いてのピンポイント補強は当時J1屈指の左サイドのスペシャリスト山岸智をジェフユナイテッド千葉・市原から獲得。シーズン中にシステム変更があり、ポジションが左サイドバックに下がるも29試合に出場。そして目玉がJ2での2シーズンで62ゴールを決め、大きく成長して戻ってきたフッキでした。
シーズン当初は鄭大世or我那覇を最前線に二列目にジュニーニョとフッキを置く超攻撃的な形でしたが、前の3人が連動してプレーできなかった為、前シーズンまでの3-4-1-2もしくは3-5-2に戻しました。なかなか勝ち点を取るペースが上がらない中、2004年より監督を務めた関塚隆さんが健康上の理由で辞任しヘッドコーチだった高畠勉さんに監督に昇格。勝ったり負けたりを繰り返しながら、夏の移籍市場でヴィトールジュニオールとレナチーニョを獲得。20節の京都サンガ戦からシステムを前線を4-2-1-3に変更したところを分岐点に勝ち点を積めるようになり、20節からシーズン終了まで9勝3分3敗の好ペースで勝ち点を積んで鹿島アントラーズを追走するも、勝ち点3差の2位で終了。またしてもあと一歩届きませんでした。
さすがにリーグ戦で10敗しては優勝はできません。フッキという巨大な個をチームで活かすところが上手くいかず、その反動で監督も体調を崩して退任という、一歩間違えれば残留争いに巻き込まれかねない状況の中、何とか勝ち点を積みましたが、折り返しまでに7敗してしまったのが後に影響しました。4-2-1-3にした事で前線の強力外国人の個人能力で押し切る形はやや単調でしたが、自分達の形に持ち込めれば高確率で勝ち点3を奪えました。もう少し早ければとこれが精一杯だったかなという、矛盾した思いがあります。
シーズン終了後には、高卒で加入し長く日本人エースとしてチームを牽引してきた我那覇和樹が契約満了で退団。J2時代から本当に長くチームの顔として多くのファン、サポーターに愛された選手だったので、当時の彼の置かれた状況を考慮すれば、仕方のない別れと理解しつつも寂しさがありました。
次回からは2009年シーズンのユニフォームを更新します。2005年にJ1に復帰してからの良くも悪くも集大成と位置付けられるシーズンでした。
明日も同じ時間に次の1枚をお届けします。またここで会いましょう。



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