【25日目/25枚目】2002-2003年 2nd 半袖 茂原岳人 選手実着用品

2000年代

2002-2003年シーズンに使用された2nd用ユニフォームです。茂原岳人選手がシーズン通して着用していた物となります。中村憲剛選手の14番を付ける前に2シーズンの間、14番を付けていた選手です。

内タグが2003年なので、2002-2003年としていますが、厳密に言えば2003年シーズンの物となります。

法を犯し、プロサッカーの世界から排除されましたが、それには今回あえて触れません。Jリーグでプレーしていた茂原岳人選手についてのみ書きます。

2002-2003シーズンはセンターハーフのレギュラーとしてプレーしました。2003年にはアテネ五輪を目指すU-22日本代表にも召集されました。今ではJ2やJ3でプレーしていても、プレーの質が伴っていれば年代別代表に召集される事は珍しくはありませんが、2003年当時はJ1とそれ以外では選手の評価は天と地ほど差があり、J2のクラブからの招集は異例でした。それだけの実力者であったという事です。

翌2004年、柏レイソルに移籍した事でセンターハーフのポジションが空き、そのポジションを掴んで急成長し一躍クラブの顔となったのが、皆様御存知の中村憲剛さんです。もし茂原さんがフロンターレに残留し怪我等がなければ、前年同様彼がレギュラーだったと思います。そうなると中村憲剛さんや谷口博之さんの台頭はもう少し後、もしかしたらチャンスが無いまま終わっていた可能性もあります。

2005年はサンフレッチェ広島で右WBでレギュラーとしてプレー、翌年フロンターレに復帰し例の事件で契約解除、同年シーズン途中にヴァンフォーレ甲府に加入すると、未経験のFWやウイングのポジションでゴールとアシストを量産、2008年には柏レイソルに復帰し、日本代表候補のキャンプにも召集されましたが、また別の事件により契約解除。ここで彼のプロキャリアは終わりました。

センターハーフ、右WB、センターFW、ウイング、どのポジションでもJ1の高い水準でプレーしてしまう類稀なサッカーセンスの持ち主でした。180cmとサイズにも恵まれ、彼が道を外さなければどんなキャリアを歩んでいたのか。川崎フロンターレの歴史上でも「触れてはいけない」扱いに今はなっていると思います。ただ彼の行いとは別にサッカー選手のしての能力だけ見れば、とてつも無い可能性の持ち主であった。お伝えしたい事はそれだけです。

….その割には過去のF-SPOTの記事は残っています。数少ない彼の言葉が残った記事です。

明日も同じ時間に次の1枚をお届けします。またここで会いましょう。

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